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20世紀への移行と共に、工業生産、輸送、科学、医薬などの分野で技術革新がもらされ、これによってより正確な計時が求められるようになりました。 スポーツの分野でも、勝敗の帰趨や世界記録が100分の1秒単位で決まるようになってきたことから、より精確で信頼性の高い計時装置が欠かせなくなりました。
クロノグラフがスポーツ大会や旅行に欠かせないものであった一方で、チャールズ・オーガスト・ホイヤーが医師のもとを訪れたことが、医療分野での計時でのイノベーションにつながりました。 1908年に特許を取得したホイヤーの新しいスフィグモマノメーター ポケット クロノグラフのカラフルなスケールによって、わずか20秒間心臓の鼓動を数えるだけで、医師が患者の心拍数を判断することが可能になりました。
自動車や飛行機での旅行が本格化すると、ホイヤーは新世代車両のダッシュボートに取り付けられる頑強な計器を開発しました。 “タイム・オブ・トリップ”は、メインダイアルにその日の時刻を表示する一方で、小さい方のダイアルの2本の針が旅行の期間を記録する高精度クロノグラフでした。 例えば、ドライバーやパイロットがプッシュボタンを押すことでこの“タイム・オブ・トリップ”レコーダを開始させたり、停止させたりすることで、運転時間や飛行時間を測定することができました。
腕時計が懐中時計に取って代わるようになると、ホイヤーも高精度クロノグラフをポケットタイプから腕時計タイプへと移行させます。 1914年のホイヤーのカタログでは、クロノグラフ腕時計は“市場でめったに見かけない”ものと説明されていました。
スポーツ計時の様々な分野同様、工業生産や射撃計算でもより高精度のストップウォッチが求められるようになりました。 エドワード・ホイヤーの息子のチャールズ・オーガスト・ホイヤーが経営トップに就任し、ストップウォッチの表示単位を1/5秒から1/50秒、1/100秒へと進化させるプロジェクトを率い、それがマイクログラフとマイクロスプリットになります。 その後すぐにスプリットセコンドのバージョンが続き、競い合う2選手のタイム差を示すことができるようになりました。
その精度と信頼性によって、ホイヤーのストップウォッチが世界有数のスポーツ大会で選ばれるようになりました。 ホイヤーはオリンピック大会だけでなく、アルペンスキーの世界選手権でもクロノグラフのサプライヤーになりました。 こうした大会で性能が実証されると、それから数十年に亘り、タグ・ホイヤーは、インディアナポリス500やF1レースを初めとして、モータースポーツ、陸上競技会、セーリング大会などで数えきれないほどの指名を受けるようになっていきます。