タグ・ホイヤー

歴史

1860年~1887年

強力な基盤

1860年にエドワード・ホイヤーが創業した会社は「家族経営」と「技術革新」という2つの基盤を拠り所としていました。 こうした基盤は、創業当初だけでなく、その後何十年にも亘り、会社の発展に寄与してきました。

1860年

ホイヤー誕生

エドワード・ホイヤーは、20歳で主にシルバーで懐中時計を製造する自身の時計工房をサンティミエにある家族経営の会社内に開きました。 1864年、エドワードは会社をブルックに移転し、Edouard Heuer & Compagnieという社名で事業を展開しました。 1867年、エドワードは、3ヵ所目となるベルン州ビールに会社を移転させます。 会社はこれ以降100年以上に亘りビールの地に留まり続けます。

1869年

初の特許

1869年、エドワード・ホイヤーは、時計製造の方向性を変えることになった、鍵を使わないリューズによる巻き上げ機構で特許を取得しました。 それまで時計を巻き上げる際に別途必要とされていた鍵に取って代わり、この新しい巻き上げリューズが画期的なイノベーションだったことは、その後広く採用されるようになったことでも証明されました。 Edouard Heuer & Cie. は、起業家としてのエドワードの直感、未来への彼の確固としたビジョンに突き動かされ、デザイン、エンジニアリング、製造の各分野で革新を続けていきました。

1882年

ポケット クロノグラフに注目

1880年代、スポーツ競技が急速に普及すると、エドワード・ホイヤーはこうした競技にとっての正確なポケット クロノグラフの重要性を認識しました。 会社は、道路、競技場、水中などで繰り広げられるレースの計時に使われるポケット クロノグラフを大量生産するようになりました。 クロノグラフ、しかもできればシルバーケースのタイプが、競馬やドッグレースの愛好家、そしてその他のスポーツマンにとってのステータスシンボルとなっていきました。

1887年

クロノグラフの完成

1887年、ホイヤーは「振動ピニオン」を改良する特許を取得しました。この改良によって、プッシュボタンを使用してクロノグラフを瞬時にスタートおよびストップ出来るようになりました。 ムーブメントのデザインを合理化することで、振動ピニオンはクロノグラフの組み立てとメンテナンスの簡略化を実現しました。 エドワード・ホイヤーはこの技術革新を「クロノグラフの完成形」だとし、これは現在でも使用されています。

1887年~1933年

世界を舞台にした精度

20世紀への移行と共に、工業生産、輸送、科学、医薬などの分野で技術革新がもらされ、これによってより正確な計時が求められるようになりました。 スポーツの分野でも、勝敗の帰趨や世界記録が100分の1秒単位で決まるようになってきたことから、より精確で信頼性の高い計時装置が欠かせなくなりました。

1908年

医師のための計時

クロノグラフがスポーツ大会や旅行に欠かせないものであった一方で、チャールズ・オーガスト・ホイヤーが医師のもとを訪れたことが、医療分野での計時でのイノベーションにつながりました。 1908年に特許を取得したホイヤーの新しいスフィグモマノメーター ポケット クロノグラフのカラフルなスケールによって、わずか20秒間心臓の鼓動を数えるだけで、医師が患者の心拍数を判断することが可能になりました。

1911年

タイム・オブ・トリップ

自動車や飛行機での旅行が本格化すると、ホイヤーは新世代車両のダッシュボートに取り付けられる頑強な計器を開発しました。 “タイム・オブ・トリップ”は、メインダイアルにその日の時刻を表示する一方で、小さい方のダイアルの2本の針が旅行の期間を記録する高精度クロノグラフでした。 例えば、ドライバーやパイロットがプッシュボタンを押すことでこの“タイム・オブ・トリップ”レコーダを開始させたり、停止させたりすることで、運転時間や飛行時間を測定することができました。

1914年

初のクロノグラフ腕時計

腕時計が懐中時計に取って代わるようになると、ホイヤーも高精度クロノグラフをポケットタイプから腕時計タイプへと移行させます。 1914年のホイヤーのカタログでは、クロノグラフ腕時計は“市場でめったに見かけない”ものと説明されていました。

1916年

マイクログラフとマイクロスプリット

スポーツ計時の様々な分野同様、工業生産や射撃計算でもより高精度のストップウォッチが求められるようになりました。 エドワード・ホイヤーの息子のチャールズ・オーガスト・ホイヤーが経営トップに就任し、ストップウォッチの表示単位を1/5秒から1/50秒、1/100秒へと進化させるプロジェクトを率い、それがマイクログラフとマイクロスプリットになります。 その後すぐにスプリットセコンドのバージョンが続き、競い合う2選手のタイム差を示すことができるようになりました。

1920年

世界のタイマー

その精度と信頼性によって、ホイヤーのストップウォッチが世界有数のスポーツ大会で選ばれるようになりました。 ホイヤーはオリンピック大会だけでなく、アルペンスキーの世界選手権でもクロノグラフのサプライヤーになりました。 こうした大会で性能が実証されると、それから数十年に亘り、タグ・ホイヤーは、インディアナポリス500やF1レースを初めとして、モータースポーツ、陸上競技会、セーリング大会などで数えきれないほどの指名を受けるようになっていきます。

1958年~1969年

黄金時代

1958年、ホイヤーにとって新たな時代が幕を開けました。 ジャック・ホイヤーがこの同族企業の4代目社長となりました。  

この10年の間、伝説のストップウォッチやラリーの世界を席巻していたダッシュボードタイマーのデザインに革新性が採り入れられ、新しいクロノグラフモデルが登場します。

1958年

ホイヤー4代目

ジャック・ホイヤーが、同族企業のエドワード・ホイヤー社の4代目社長に正式に就任しました。 会社は従来の腕時計の販売を打ち切り、レースやラリー用のクロノグラフ腕時計、ストップウォッチ、ダッシュボード計時装置に集中するようになりました。 ジャック・ホイヤーは、アマチュアクラブレーサーからフェラーリF1チームまで、あらゆる形態のモータースポーツに参入するよう会社を指揮するようになります。

1958年

ダッシュボードのための新しいデザイン

1958年、ホイヤーは、ダッシュボードタイマーのデザインを一新させ視認性を改善した革新的なニューモデルを発表しました。 「ラリー マスター」ペア(「マスター タイム」クロックと「モンテカルロ」ストップウォッチ)がラリー界を席巻するようになります。 「スーパー オータヴィア」は、ダッシュボードまたはパイロットのヨーク用の初のクロノグラフ、「セブリング」はスプリットセコンドの計時機能を備えていました。

1960年

ストップウォッチのイノベーション

ストップウォッチはホイヤーのビジネスにおける主力商品となり、100周年に向けてラインナップのデザインが一新されました。 「ゲーム マスター」はリストストラップの付いたストップウォッチで、レフェリーにピッタリでした。 1960年、ホイヤーはストップウォッチラインのデザインを一新させ、創業100周年を祝いました。 中央にミニッツレジスターが配され、レッドとブラックのカラーが視認性を高めている「センチュリー」シリーズは、各種スポーツ、モーターレース、産業用計時向けのストップウォッチをフルラインナップしていました。

1962年

宇宙に行った初のスイス製タイムピース

1962年2月20日、宇宙飛行士のジョン・グレンがアメリカ人として初めて軌道周回飛行を行い、宇宙でスイス製タイムピースを着用した最初の人類となりました。 グレンの手首にはめられたホイヤーのストップウオッチが、彼の4時間56分の飛行を計時したのです。 1969年7月には別のホイヤーのストップウォッチがアポロ月着陸船「イーグル」号の月面までの降下時間を計測しました。 この両ストップウォッチはスミソニアン博物館に展示されています。

1962年

クロノグラフの名前

歴史的に、ホイヤーはほとんどのクロノグラフを識別するのにリファレンス番号だけを使ってきましたが、1962年からはモデルごとに特徴的な名前を付けるようになりました。  

「オータヴィア」は、自動車または飛行機用のツールでした。 これに続いて1963年に発表された「ホイヤー カレラ」には、美しい名前のパワー、レーシングのロマンス、デザインの純粋さが込められていました。  

1968年にはこの時代を代表する人気マッスルカーへのオマージュとなるクッション型ケースの「カマロ」と、カラフルなヨットウォッチ「スキッパー」が誕生しました。

1962年

冒険のためのツール

「オータヴィア」クロノグラフは、コレクション名を冠したホイヤー初のクロノグラフです。 1930年代のダッシュボードタイマーからその名を取った「オータヴィア」(Autavia)には自動車(AUTomobiles)と飛行機(AVIAtion)用の機能が組み込まれています。 ケースには分または時間単位で追跡し、タキメータースケールにスピードを表示し、旅行者のために第二時間帯を追跡を可能にする回転式ベゼルが付いています。 その後20年に亘り、ホイヤーは80バージョン以上の「オータヴィア」を世に送り出すことになります。

1963年

レーシングのロマン

1963年、ホイヤーは、レーシングのロマンとスリルを捉えたクロノグラフ「ホイヤー カレラ」を発表しました。 その名は、ジャック・ホイヤーが、1950年から1954年にかけてメキシコを舞台に繰り広げられていた国境から国境までのロードレース「カレラ パンアメリカーナ」から取ったものです。 「ホイヤー カレラ」の角度の付いた頑強なラグは力強さを感じさせ、ダイアルにはタキメーター、10進数分表示、またはパルスメーターが搭載されていました。 陸上競技やモータースポーツだけでなく、ドレッシーなシーンにもピッタリな「ホイヤー カレラ」には、トリプルカレンダーモデルもあり、ケースはスティール製かゴールド製のいずれかでした。

1964年

ホイヤー、レオニダスを傘下に

1964年、ホイヤーはストップウォッチとクロノグラフのトップメーカー、レオニダスを傘下に収めました。  

レオニダスの傘下に収めたことで、ホイヤーのストップウォッチのラインが大幅に拡張されました。 

1968年

1960年代の形

1968年、ホイヤーは、従来のラウンドケースから初めて離れ、全く新しいクッション型ケースの「カメオ」を発表します。 「カメオ」はレーサーに人気で、ほとんどのモデルがダイアルにタキメータースケールを備えていました。 「カメオ」の製造は1970年代初頭まで続き、50近いモデルが登場しましたが、その全てが手巻きムーブメントでした。 クッション型は、スクエア型の「モナコ」に先駆けとみなされています。

1968年

ヨットレースのスキッパー

ホイヤーは、アメリカズカップでロードアイランド州ニューポート沖で戦うディフェンディングチャンピオンのイントレピッド号に計時装置を提供しました。 勝利を祝うため、1968年、ホイヤーはイントレピッド号とカラーを合わせた新しいクロノグラフを誕生させました。 ダイアルは鮮やかなブルー、オレンジ、グリーンで、15分カウントダウンレコーダーが付いていました。 「スキッパー」は、15年間で8つのモデルが展開されました。

1969年

モータースポーツ界への参入が加速

スイス人F1ヒーロー、ジョー・シフェールのスポンサーシップを通じて、ホイヤーは自動車関係以外のブランドで初めて、F1カーにそのロゴが表示されました。 2年後、ホイヤーがフェラーリF1チームのスポンサーになり、マリオ・アンドレッティ、ジャッキー・イクス、ニキ・ラウダ、クレイ・レガツォーニ、ジル・ヴィルヌーヴといったドライバーが全員タグ・ホイヤーのクロノグラフを着用したことで、F1との関わり合いがホイヤーの知名度を高めました。 ジャック・ホイヤーはこうしたドライバーそれぞれに18Kゴールド製「ホイヤー カレラ」を贈りました。

1969年~1985年

華やかな時代

1969年、ホイヤーは、世界初の自動巻クロノグラフ「オータヴィア」「ホイヤー カレラ」「モナコ」モデルを発表しました。  

1970年代に入るとホイヤーは、1960年代のクラシックなブラック&ホワイトから鮮やかなカラーと大胆なシェイプへと素早く転身を遂げました。

1969年

キャリバー11:初の自動巻クロノグラフ

ホイヤーをリーダーとするジョイントベンチャーが、キャリバー11(クロノマティック)ムーブメントを搭載した初の自動巻クロノグラフを世界市場に向けて発表しました。 1969年3月、ジュネーブとニューヨークの記者会見で、自動巻の「オータヴィア」、「ホイヤー カレラ」、「モナコ」が発表されました。 ムーブメントの技術革新以上に、新しいケースが、過去数十年の外観から1970年代の斬新なスタイルへと飛躍を遂げました。

1969年

「モナコ」とマックイーン

3つのモデルはホイヤー初の自動巻ムーブメントで駆動されていましたが、世界の注目を集めたのは新しいモナコでした。 「モナコ」は、エッジの効いたスクエアケースにミッドナイトブルーまたはチャコールのダイアルを組み合わせ、注目を集めるクロノグラフになりました。 映画『栄光のル・マン』のために、ハリウッドスターのスティーブ・マックイーンは、彼のレースのヒーローであり、ホイヤーのアンバサダーであったジョー・シフェールと同じスタイルを望みました。 そして、マックイーンは、手首に「ホイヤー モナコ」クロノグラフを着け、レーシングスーツに“ホイヤー クロノグラフ”の記章を付けました。 この大胆な組合せによって、世界中がホイヤーの新しいクロノグラフに注目しました。 「モナコ」の最後のモデル(現在のコレクターから“ダーク ロード”と呼ばれている)は、ブラックのコーティングを施したケースにブラックダイアルを組み合わせ、1970年代のミリタリースタイルを取り入れました。

1971年

色の世代

初の自動巻クロノグラフの発表に続き、ホイヤーは大胆な形と色でモデルのラインナップを拡大し始めました。  

70年代の終わりに向けて、すっきりとしたケースと洗練されたラインのエレガンスが流行しました。

1971年

ワイルドなスタイル

ホイヤーが発表した大胆な自動巻クロノグラフには、回転計算尺を搭載した「カリキュレーター」や、ブルー、ホワイト、ブラック、シャンパンカラーからダイアルを選べる堂々とした「モントリオール」が含まれていました。 「シルバーストーン」は、レッド、ブルー、または煙(スモーク)ダイアルを備え、イギリスのF1サーキットを称えたモデルです。 ホイヤーは、非常にエキゾチックな外観の「テンポラーダ」モデルにファイバーガラスのモノコック構造のケースを試みました。

1971年

センチグラフ」による計時

ホイヤーの電子部門が「センチグラフ」を開発し、フェラーリ レーシングチームに採用されます。 このシステムによって、レーシングチームは自分たちのドライバーのタイムを高い精度で記録することが可能です。 1/1000秒の単位まで表示する「センチグラフ」によって、チームは複数の自動車のラップ数、最後のラップのタイム、合計タイムを計時し、その場でプリントアウトすることができました。 特別な機能が追加され、他のレーシングチームもほどなく顧客となりました。

1975年

電子への道

ホイヤーは、世界トップクラスのレーシングチームのための電子計時のパイオニアとなり、これと同類のテクノロジーはほどなくクロノグラフに採用されました。 1975年に発表された「クロノスプリット」は、時刻とクロノグラフをデュアル表示するフレンドリーなロボットとして登場しました。 「マンハッタン」は、はるかに急進的で、その六角形ケースにアナログとデジタルの両方が表示されていました。 しかし、これらの新しいクロノグラフは、スイスフランと米国ドルの厳しい為替レートと、新たに開発された日本のクォーツウォッチという大きな難題に直面しました。

1977年

洗練されたデザイン

1970年代初期の過激な時代を経て、ホイヤーは70年代の終わりに向けた、より洗練されエレガントなデザインへと移行しました。 「コルティナ」、「ジャラマ」、「モンツァ」、「ベローナ」は、ヨーロッパがレーシングや他のスポーツに向かうことを称えました。 「デイトナ」はレーシングカー、そして、「ケンタッキー」は競走馬のために作られ、米国のレース会場の興奮を捕らえました。 これらのモデルは、よりスリムなケースが特徴で、 多くのモデルに、スポーツやエレガントな装いのためにデザインされた一体型スティール製ブレスレットが組み合わされました。

1979年

ダイバーズウォッチへの移行

ホイヤーの1978年のカタログには、自動巻および電子クロノグラフが多数掲載されていましたが、1979年にホイヤーは、自社の未来を作ることになる頑丈なダイバーズウォッチを発表しました。 一握りのモデルから始まったダイバーズウォッチは、自動巻またはクォーツムーブメントを搭載する多数のモデルへと拡大しました。 ダイアルは、オレンジ、夜光、オリーブ、ピューターの組み合わせ、または伝統的なブラックで、サイズは28mmから42mmでした。

1985年~2004年

再生と近代化

TAG(Techniques d’Avant-Garde)ビジネスグループ傘下となることで、タグ・ホイヤーは、機械式クロノグラフ関連のブランドから、21世紀に向けた時計製造を手掛ける企業へと生まれ変わりました。  

1980年代に開発されたモデルが、現在のタグ・ホイヤーカタログに掲載されている主要製品になりました。 

1985年

2000シリーズ

1980年代初期、ホイヤーは、新しいダイバーズウォッチコレクションの特徴となる6つのユニークな機能を発表しました。 中でも特にダイビングに関連するのが、200mの防水性、ねじ込み式リューズ、逆回転防止ベゼル、ダブルセーフティバックル付きスティール製ブレスレットの4つの特徴です。 サファイアクリスタルと夜光塗料を塗布したインデックスによって、最高の視認性が確保されました。 これらの機能は、現在の「アクアレーサー」に受け継がれています。

1986年

フォーミュラ1

1983年、タグ・ホイヤーは、時計界における新しいパラダイムの登場に応え、画期的なコレクション「タグ・ホイヤー フォーミュラ1」を発表しました。 「タグ・ホイヤー フォーミュラ1」は、鮮やかなカラー、プラスチック製ケース、シンプルなクォーツムーブメント、そして楽しいパッケージ、と同じスタイルが提供されました。 ダイバーズウォッチの伝統に忠実に従い、「タグ・ホイヤー フォーミュラ1」は、防水性200mの分単位で刻まれたベゼルを備えていました。

1987年

スポーツとエレガンス

タグ・ホイヤーが、従来のダイバーズウォッチから、最も洗練されたデザインのスポーツウォッチへと高級腕時計化を遂げるのに時間はかかりませんでした。 販売促進資料では、新しい「S/el」はダイビングスーツにもディナージャケットにも合わせられることが強調されました。 F1チャンピオンのアイルトン・セナは、タグ・ホイヤーのユニークなブレスレットのデザインが特徴の「S/el」を普段から着用しました。 この時計は、エディ・ショッフェルがデザインしました。 このコレクションは、1999年、この独特なブレスレットへのトリビュートにふさわしい「リンク」という名称に変更されました。

1991年

新しい腕時計のための新しいキャンペーン

タグ・ホイヤーは、賞を獲得した広告キャンペーンで新しい腕時計を後押ししました。  

1991年から1994年にかけて行われたキャンペーン「Don't crack under pressure(プレッシャーに負けるな)」では、ミハエル・シューマッハやアイルトン・セナなどのブランドのアンバサダー達の意志の強さや集中力を称えました。  

1995年から1997年、タグ・ホイヤーは「Success. It's a Mind Game(成功。それは一つの心理戦である。)」を使用しました。

このキャンペーンでは、トップアスリートや成功者が彼らの限界にどのように挑み続けているかを示しました。 

1996年

初の再発売

1980年代に多くの新作を発表したタグ・ホイヤーは、1990年代半ば頃には、1960年代からのブランドのクラシックなクロノグラフへ戻りました。 1996年、タグ・ホイヤーは、オリジナルの1964年モデルのスタイルをほぼすべてのディテールまで受け継いだ 「タグ・ホイヤー カレラ」を再発売しました。 1998年には、オールブラックダイアルの「モナコ」を再発売しました。 「タグ・ホイヤー カレラ」と「モナコ」は再発売以降、タグ・ホイヤーのカタログに不可欠なモデルであり続けています。

1999年

タグ・ホイヤー、LVMH傘下へ

1999年、フランスを代表するラグジュアリーブランドグループLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンがタグ・ホイヤーを傘下に収めました。 1982年に家族経営の会社を売却せざるを得なかったジャック・ホイヤーが、2001年に会社の名誉会長としてタグ・ホイヤーに戻りました。 彼は世界中を訪れ、ブランドの遺産を愛好家の新しい世代とシェアしました。

2004年~2015年

限界を押し上げる

21世紀が幕を開け、タグ・ホイヤーは、ウォッチとムーブメントの構造に対して全く新しいアプローチを展開するようになりました。  

こうしたイノベーションが、最先端技術をスタイルに反映させたウォッチにおいて、記録を塗り替える精度をもたらすことになるのです。 

2004年

「モナコV4」

「モナコV4」コンセプトウォッチでは、機械式の駆動に対して全く新しいアプローチが採用され、その構造はレーシングエンジンを想起させるものでした。 この斬新な腕時計には、エネルギーを生み出すためにレール上に配されたインゴット、エネルギーを伝達する小さなベルト、そしてエンジンブロックのレイアウトに似せた4つの香箱が使用されていました。 「モナコV4」のケースには、プラチナ製、チタン製、カーボン・マトリックス・コンポジット製、ローズゴールド製があり、タグ・ホイヤーは、このモデルの10周年をトゥールビヨンを搭載したモデルで祝いました。

2004年

「アクアレーサー」

2004年、タグ・ホイヤーは、1980年代初頭の初のダイバーズウォッチにルーツを持つ「アクアレーサー」コレクションを発表しました。 「アクアレーサー」の第一世代は300mの防水性を備え、次の世代(2009年に発表)は500mまでその防水機能を高めました。 「アクアレーサー」は、素材やカラー、ムーブメントに膨大な種類があり、高い視認性で信頼できる腕時計をダイバーに提供するためにデザインされました。

2010年

キャリバー1887 ムーブメント

2010年、タグ・ホイヤーは初の自社製クロノグラフムーブメント「キャリバー1887」をリリースしました。 「キャリバー1887」は、コラムホイールと、ホイヤーが1887年に特許を取得した振動ピニオンがそのままのスタイルで組み込まれた一体型ムーブメントです。 「キャリバー1887」ムーブメントは、新しい世代の「タグ・ホイヤー カレラ」クロノグラフに搭載され、ホイヤー01自社製ムーブメントのベースになりました。

2010年

オート オルロジュリーのワークショップ

2000年代半ば、タグ・ホイヤーは、最先端のテクノロジーを開発し組み入れ、非常に限られた数だけの革新的な腕時計をすべて手作業で製造するためのワークショップを創設しました。 「マイクログラフ」(2011年)は、1秒間に1回転するセンタークロノグラフ針で1/100秒の精度で表示する一体型ムーブメントを採用しました。 「マイクロタイマー フライング1000」は、タグ・ホイヤーの超高速振動のコレクションを、センタークロノグラフ針が1秒間に10回転する1/1,000秒の精度にまで拡げました。 この名前は、1966年に発売され、1/1,000秒の精度を持つ世界初のタイマーであった電子タイマーの「ホイヤー マイクロタイマー」に由来します。 このコレクションの最終モデルは、2012年に登場した「マイクロガーダー」で、5/10,000秒の精度を誇りました。 2010年に発表された「タグ・ホイヤー カレラ “ペンデュラム”」 ウォッチは、ムーブメントの制御に伝統的なヒゲゼンマイではなく、磁石を使用しました。 タグ・ホイヤーは「ペンデュラム」のテクノロジーを拡大し、「マイクロペンデュラム トゥールビヨン」を発表しました。 このモデルは1/100秒の精度を有し、トゥールビヨンを搭載していました。また、「マイクロペンデュラムズ」には、2つのマグネティック・ペンデュラムとダブル トゥールビヨンが搭載されていました。

2015年~現在

過去と未来をつなぐ

タグ・ホイヤーは、今の時代を代表する最先端技術を開発し組み込むことで、歴史にその名を残す多彩な腕時計の数々を活躍させています。 

時計ファンに好まれるのがシリコンチップであろうと、トゥールビヨン、カーボン製ヒゲゼンマイであろうと、その時計はタグ・ホイヤーの過去と未来をつないでいるのです。

2015年

コネクテッド ウォッチ

2015年11月、タグ・ホイヤーは初のスイス製ラグジュアリー スマートウォッチ「タグ・ホイヤー コネクテッド」ウォッチを発表しました。 「タグ・ホイヤー カレラ」スタイルのケースを備えるコネクテッド ウォッチには、パートナーのIntelと Googleにより新たに開発されたテクノロジーが搭載されています。 購入者は、「タグ・ホイヤー カレラ」のコネクテッド ウォッチを伝統的な機械式ムーブメントと交換することができます。 「コネクテッド モジュラー」シリーズ(2017年)は、ストラップとラグを変えることなく、着用者がスマートウォッチモジュールを自動巻ウォッチモジュールに変更することができます。

2017

オータヴィアの帰還

2017年3月、ファンが選んだ新作オータヴィアは、「オータヴィア カップ」投票で、16種類のクラシックなオータヴィアの中から選ばれたスタイルを踏襲したものです。 オータヴィアの限定エディションはジャック・ホイヤーの85歳の誕生日を祝うとともに、スイス国籍のF1ヒーローであるジョー・シフェールへのトリビュートとして製造されたモデルで、その他のモデルはオータヴィアの「バイセロイ」と「オレンジボーイ」モデルのカラースキームを採用しています。 2017年9月、タグ・ホイヤーはヴィンテージコレクターのコミュニティとの協賛で、全世界10都市で展覧会を開催しました。 展示された400点以上のタイムピースは、半数はタグ・ホイヤー ミュージアム、残りの半数は個人コレクター所蔵のものです。 各都市は、車やドライバー、ミリタリー ウォッチ、セーリングやダイビング等、独自のテーマで開催しました。

2018

タグ・ホイヤー カレラ Fragment

タグ・ホイヤー カレラ Fragment デザイン 限定エディションは、自社製ムーブメントのホイヤー02をタグ・ホイヤー カレラのケースに収めたデザインです。 3時、6時、9時のレイアウトを採用したムーブメントは、ホイヤーが手がけた1960年代のクラシックなクロノグラフを踏襲し、80時間パワーリザーブ機能を備えています。 ストリートウェア界のレジェンド、藤原ヒロシがデザインしたタグ・ホイヤー カレラ Fragment デザインは、1968年に製造された3つのインデックスを備えた希少なタグ・ホイヤー カレラからインスピレーションを得ています。

2019

モナコ50周年記念

モナコ誕生50周年を記念してタグ・ホイヤーは、モナコ誕生以降の各10年を象徴するスタイルを反映した、5本の限定エディションモデルを発表。 1970年代のオリーブグリーン、1980年代のビクトリーレッド、1990年代のインダストリアルグレー、2000年代のブラック&ホワイト、2010年代のディープグレーのカラーバリエーションです。